スタントン・バレット ~ 命の危険を冒して人生に賭ける男

2008.12.13(土)

2008年12月

『スポーツ・イラストレイテッド』誌にスタントンの記事が掲載されました! 『スポーツ・イラストレイテッド』誌にインターラッシュレーシングのドライバーであるスタントン・バレットを10ページにわたり紹介する記事が掲載されました。同誌はアメリカで最も人気のあるスポーツ誌で全米だけで2千万人、世界中のオンライン読者を入れるとその数はさらに大きくなります。アメリカの男性5人に1人がこの記事を読んでいる計算になり、その人気は『タイム』や『ニューズウィーク』に匹敵します。オリジナルはこちらです写真は全てUniversal Studios Licensing LLLPからの提供です。

SI-1.jpg
警告:これはハッピーエンドではないラブストーリーのようだ。ハリウッドについて多く語られているが、特にハリウッドでなければならない話でもない。若き日の恋を実らせるためヒーローはどんな努力も惜しまない。炎の中を走りぬけ、屋根から飛び降り、走行中の車に飛び乗る。しかし、彼は彼女を手に入れることができない。彼女は変わってしまったんだ。以前の面影もない。人々が寝静まったころ、彼は一人彼女を描く。そして疲れ果て、彼は眠りに落ち彼女の夢を見るのだった。ヒーローはこんなばかげたことなどしないときっとあなたは言うだろう。論議したって埒があかない。お互い納得できっこない。それが彼なのだから。20パウンドの電池を背負って、バイクの後部にカメラをくくって、100フィートの壁を越え、20フィート先の屋根へと飛び移る。着地する場所を間違えれば足場は崩れる。すべてはレース用タイヤ3セットを買うため。それがヒーローだって言えるのかい?そんなこと、スタントン・バレットはおかまいなし。ロサンゼルスの大空に向かって飛び上がり、4つ目の屋根に飛び移る。しくじったら、車道に投げ出されるだろう。そんなスタントンを見て、ディレクターは良心の呵責を感じずにはいられない。「できなくても問題ないよ」。

スタントンには神経がやられてトイレまで這っていかなければならない朝もある。頭痛が3週間治まらないことも。かつて骨折した大腿骨のせいか左脚が動かなくなり、今もなお指が4本入るほどの大きくて深いくぼみが残っている。でも、その骨折は46本中の一本にすぎない。

「もちろんやれるよ」、スタントンは答える。

報酬6000ドル。レース用のタイヤが3組買える。監督がさがり、スタントンが幻想の世界でドリフトする。彼の知るスタントマンが3人も命を落とした仕事だ。一人は飛び降りのスタント、もう一人はカークラッシュのスタント、最後の一人はヘリコプターの事故が原因。映画『ブラックダイヤモンドーCradle 2 the Grave』の撮影での出来事だ。それが彼の脳裏をよぎる。

カメラ、スピード、レディ…アクション!スズキのエンジンをふかし、こっちの屋根からあっちの屋根へ、そしてもうひとつ向こうの屋根へ。一回目のジャンプの衝撃でカメラが振り落とされ、つなぎのワイヤーにスタントンの後ろのバッテリーが引っ張られ、彼自身もバイクから弾き飛ばされてしまった。3つ目の屋根にスタントンの体が激突、足が粉々に、骨から爪までが剥がれた。

なんてこった。スタントンの左足が、ブレーキやクラッチを踏む左足が…。来週にはナスカーブッシュシリーズで800回も900回もぐいぐい踏み込まなければならない左足だというのに。一週間後にせまるレースをキャンセルなんてできっこない。そのためにスタントしてるっていうのに。 人生を賭けるために命を危険にさらす男

待てよ、どういうことだ? 何千人もが負傷するスポーツをして翌週には土日合わせて6百万人もの観客とテレビの向こうのファンが見守るレースへ参上する。そこでは43人がしのぎを削り、時速150マイルで何千回とコーナーをきる。そんな中、この男はタイヤ3セットを手に入れるため、バイクで屋根を飛び移る。そこまでして、43人のひとりになりたいのか。しかも、ひとつのレースを乗り切るのにはタイヤ6セットが必要なんじゃないか?

簡単に言えば、大企業が一人のドライバーに何十億円もつぎ込んで、等身大以上の存在に祭り上げ、莫大な広告効果で自社の商品を売ろうって話だよ。でも、だれもこの男をスポンサーするなんてへまはしないよね。大きなスクリーンでハリウッドスターのために命を張るハンサムな男なのにね。

スパイダーマン2で、ドクターオクトパスとして22階建てビルの屋根からぶら下がった男かい(2300ドル也、1レース用の燃料セル代)?バットマン&ロビンでは、倉庫の窓を突き破り見事着地、ロビン&バットガールでも集団レースを披露した(3000ドル也、3つのラジオとヘッドセットが買える)。 金曜の夜にアクション映画でスタントしてるやつが、翌土曜の午後のヒーローにはなれないって?

想像してごらん。誰もが情熱のために肉体的犠牲を払わなければならない、夢のために命の危険を冒さなければならない世界を。もし、ガブリエル・ガルシア・マルケスがタイプライターリボンを買うためにバイクでトラックを飛び越えなければならなかったら、『100年の孤独』は世に生まれていただろうか?もし、エジソンがフィラメントとガラス電球を買うために、6階の窓から飛び降りなければならなかったら、ガルシア・マルケスはろうそくの光で本を読んでいたのだろうか?

現実の世界はこうだ。金持ちのオーナーや企業スポンサー、毎日18,000ドルを湯水のように使って、毎週マシーンの調整に余念のないエンジニアやメカニックが40万スクエアフィートの作業場で溢れている。スポーツの世界で一番困難なのはメジャーリーグでピッチャーをすることじゃない。ナスカーで自分のチームを持ち、ドライバーを務め、限られた予算で勝つことだ。

予算がないドライバーはいる。しかし彼らはほとんどの場合、ネイションワイドのサーキットに来ては、$20,000や$30,000を勝ち取るため、予選通過を祈るのみ。つまりスタート・アンド・パーク(参加して駐車して終わり)のみってわけ。本当の意味でレースをしているわけじゃない。そんな男はスタントン・バレットだけ。

SI-3.jpg
数ヶ月前モントリオールでのネーションワイドレースで、チームメイトの困惑が深まった。「スタントンは普通じゃないよね?」スタントンの65歳になる父親が老体に鞭打ってレースカーのシートに着いたとき、ライバルのクルーメンバーが言った。

「そうかもな」とスタントンのクルーは答えた。

誰もヒーローの思考回路なんて理解できない。この男が何をしなければならないかなんてわかりっこない。世界一大きなカーレースに参加するためにバイクで屋根を飛び回らなければならないこと以外は。

高速をドライブしている間も何もせずにはいられない。2本の親指を駆使して秘書にテキストを打つ。すでに限度額に達した6枚のクレジットカードで今週をどう乗り切るかってね。もうひとつの携帯電話では、クルーチーフとマシーンの最終調整について話している。今度はノートパソコンを開いて、住所を確認。左ひざに乗せたサンドイッチを頬張りながら、将来スポンサーとなりうる企業を探し、右ひざに寝そべっている愛犬のラブラドールレトリバーの頭をなでる。3時間しか寝ていないというのに75マイルのスピードでバランスを保ちながら難なくレーンを変える。これが今日のスタントン・バレット。何てことはない、彼にとっては普通の一日だ。

14時間ハリウッドでの撮影を終えて帰宅した後、ラップトップと携帯を使って5時間のナスカーが始まる。午前3時まで働き、7時には起きなくてはならない。パラグライダーをしながらビジネスコールをしたり、スキーをしながらテキストメッセージを送ることもある。手作りのグルメ料理を作りながら、Eメールしたり、3つの電話を受けたり。まるで、マーチングバンドのドラマーを見ているみたいだ。レースカーの下でボルトを緩めながら、バイクやボブスレー、スノーモービルのレースの予定を入れたりもする。ああ、彼がそれらのレースもするってこと、まだ言ってなかったよね。「また時間を無駄にしてしまったよ」。一息つくたびに彼はそう言う。

彼の顔を一目見て思うだろう。何人の女性が彼に惚れたろうって。でも、彼の人生を見てこう思うだろう。果たして何人残ってるかなって。彼女は数年前の出来事を振り返る。レース前日、テキサス・モーター・スピードウェイに竜巻が接近して、レース関係者は全員非難した。大きなひょうが振る中、トラックを運転しながら2つの携帯で4つの会話であたふたしていたスタントンに「車を止めたほうがいいんじゃない?」とジャネー・ナイホームは訊いた。

しばしの沈黙。彼女の声は届いたのか?それとも聞こえないフリ?スタントンの心は常にレースのことでいっぱい。付き合って間もない彼女は、彼が深い海の底から水面に上がってくるのを待つことを学ばなくてはならなかった。「サイン会に行かなきゃ」。やっと彼がつぶやいたと思ったら、すぐに携帯電話との格闘に戻るのだった。

「ジェントルマン、スタート・ユア・エンジン!」の声がスピーカーから響き渡る。去年3月、ラスベガス・サムズタウン300でのネーションワイドシリーズ。スタントンはかけてもかけてもつながらない携帯電話を見つめていた。どれもこれも使い物にならないと、43台のレースカーがうなりを上げ、12万人のファンが見守る中、ポール・ニューマンの声を聞こうと4つ目の携帯を取り出す。そう、あのポール・ニューマンだ。一声聞いて、2,500マイル離れたところから、彼にガンなんかに負けるなと声援を送りたかったのだ。時間切れ。携帯を切り、耳栓をして、ファーストギアを入れる。もう行かなきゃ。

スタントンの人生を時速180マイルでおさらい

まずは家族構成から。祖父はデイブ・マッコイ。カリフォルニア州シエラネバダ伝説の男。開拓不可能といわれたマンモス・マウンテンを世界に名高いスキーリゾートにしてしまったんだから。14人のオリンピック・スキー選手を育て、もちろん本人もオリンピック出場。

祖母のローマも、スキーの地区チャンピオンだった。彼女について知っておくべきことは、ハーレーの後部座席にまたがりながら、ハンドルを取るデイブの耳元で早く替われとせかすこと。時速70マイル。

そして母のペニー。12歳にして、4時過ぎには起床、マンモスマウンテンに登り、スキーをしながら夜明けとともに山を降りる。雪が一番凍っていて、難しいコンディションだからだ。16歳、最年少でスキー世界選手権のチャンピオンとなる。

父はスタン・バレット。結構すごい。ゴールデン・グローブ・ボクシング・チャンピオン、空手黒帯保持者、家周りの仕事をして煙突から飛び降りたり、そしてなんといっても地上で初めて音速より早く走った男。ハル・ニードルハムとチームを組んで、映画『トランザム7000』や70年代・80年代ホットだったTVショーを撮るため「ひっくりかえるわ、クラッシュするわのワイルドカーレースを決行。バート・レイノルズの代役スタントもこなした。

SI-5.jpg
1歳半年上の兄のデビッドは、すぐにオールAを取り、サッカー、野球、テニスをこなし、スキーでジュニアオリンピック出場、スノーボードでジュニアの全国大会出場、全米で2本の指に入るモトクロス選手になった。それらはただの前奏に過ぎず、今ではハリウッドのディレクター/プロデューサー。

スタントンといえば、やせこけて、小柄でびくびくしている。その上、読み書きが苦手。だから小学2年生を2度やる羽目になった。

彼は生意気小僧でも邪悪なライバルでもない。父親が無事に思春期を迎えられるかと心配するほど、いたってやさしく紳士的な子だった。5歳のとき、おもちゃの矢で池で泳ぐ鴨を撃ってしまったと、池のふちにすわったまま父親が戻ってその矢を抜くまで何時間もその鴨を見つめていた。とたんにスタントンは泣き出した。「マミー、ダックちゃんのためにお祈りをしなきゃ」。

恐怖は家の中で一番小さな部屋。おまえにはもっと大きな部屋がふさわしい。お父さんがいったわけじゃない。14世紀ペルシャの詩人ハーフェズが言ったんだ。お父さんはそれを実行しているだけ。だから、恐いなんて思っちゃいけない。5歳だろうが関係ない。父はいつだって、バート・レイノルズのプールで泳ぎ、炎をかいくぐるすべを伝授してきたのだから。

そして、面白いことが起こった。小僧は、ビッグホイールも、自転車も、スケートボードも、50ccバイクだって、兄デビッドにかないやしないけど、車輪に自分のブーツを絡めることはできるし、死んだフリで父の注意を引くことでならデビットに負けやしない。裏庭でのボクシングじゃかなわなくても、ぬかるみを歩くのは得意だし、思いっきり息を吸い込むことだってできる。マンモスでのかけっこでも勝てないけど、森の中に入って、木や岩の間を縫ってスキーをすればライバルなんていない。「ちくしょう」デビッドが叫ぶ。「やつは神風だ。ファミリーの中で、一番早く、強く、生意気で、賢くはなれなくても、根性と恐いもの知らずでは一番だ」。

家庭では両親の結婚生活はうまくいかず、スタントンは緊張に耐えるばかり。外で彼は燃料のように燃え尽きる。7歳になっても、4歳くらいにしか見えず、母親は彼がマンモスでスキーをしたり、ヘリコプターで崖を降りたり、後ろ向きで着地したり、ポールや手袋、上着をその小さな体から剥ぎ取る姿を見守るしかなかった。彼にレースさせることはあってはならない。彼はよろめき、脱落を繰り返すだろうから。

いいかい、坊や。賭けようじゃないか。これが7歳のスタントンに課せられた使命。見よ、父スタンがひざの高さほどしかなく3輪の赤いロケット型のサイドワンダーミサイルに乗り込んでいく。電源を入れて、まっすぐ進んでいく。音速を超えるまで我慢するんだ。父のメンターで奇妙な男、ハル・ニードルハムも1976年自ら挑戦、パラシュートが開かず180フィート上空に投げ出され溝に激突した。歳をとって賢く、映画『スモーキー・アンド・バンディット』を撮って金持ちになったニードルハムは2度目の挑戦で新しいロケットを開発、サイドウィンダーをつけて、スタン・バレットにハンドルを握らせた。「やつはやるに決まってる。たとえ死んでもね」とハルは言っている。

SI-4.jpg
スタントンは妙な子だ。ボンヌヴィル・ソルト・フラットの滑走路脇でひとり、小石を集めて色を塗ってる。親父が一世一代の賭けに出ようっていうのに。ゴッドファーザーのポール・ニューマンは挑戦を見守っていたけど、友人がボロボロになるのを見るに耐えきれず、エドワード空軍基地に来るのを拒んだ。

見守る者たちにとって最初の恐怖はマッハ1を突破してスタンが気絶するんじゃないかってこと。次にロケットの鼻先が方向を変えてしまうんじゃないかってこと。たとえ数センチでも、ほんのひとつの部品がやられても、コントロールを失ってしまう。3つ目はサイドウィンダー。海軍から6,000ドルで手に入れたこの代物はモーターが640に達するとさらに100マイル速くする。しかし、火がつけばポロリと剥がれてスタンの首をはねるかもしれない。まだある。パラシュートを開いたとたん、青ざめたスタンが飛び出してくるんじゃないかってこと。

なんと18回、これが父の姿を見る最後かもしれないって思いながら、スタントンは父がもやの中に消えていくのを見ていた。18回目、点火から16.8秒後、サイドウィンダーに火がついてから12秒後、後部車輪が700フィートほど浮き上がって、時速739.666マイル、音速を超えた。地上で彼より速く移動したものはいない。前輪だけでさらに40ヤードほど進む。遠隔計測者がロケットがバラバラになっていたかもしれないと証言する。「そんなこと考えたくもないね。失敗したらまたやらされるだろ」とスタンはインタビューに答えた。

両親の離婚、いつでもひとりでやってきた

突然、すべてが闇に包まれた。スタントンは転地がひっくり返るのかと思うほどだった。両親は結婚生活は決裂、父は一人コロラドへ向かう準備をしていた。スタントン13歳。彼の心は壊れそうだった。何千キロも離れたところに行くなんて信じられない。

魔法の遊び場だったマッコイのマンモスリゾートと母、姉、ベストフレンドだった兄に別れを告げるとき、スタントンは泣いた。

運転席の父の目は疲れ、もう開けていられる状態ではなかった。「僕が運転するよ」スタントンがつぶやき、父に体をすり寄せた。左手がハンドルに届き、左足でアクセルとブレーキを踏む。スタンが眠っていたのは3時間。吹雪の中一車線の道を13歳の少年がトレイラーを牽引するターボチャージのピックアップトラックを運転していた。

大人になるずっと以前からスタントンは食事の準備をしていた。当座預金を持ち、住宅ローンと光熱費も払ってきた。彼はいつだって家族思いだった。父が、そしてみんなが元気にしているかを気にかけてきた。ほかの兄弟はどうだろう。デビッドとミッシーは学校中退、高校卒業試験を受けるのにてんやわんやだった。両親の離婚に際して、スタントンは父をサポートしながらも、カリフォルニア州裁判所の外に一人座り泣いた。

彼は冷めた表情で自分の人生を振り返る。か弱い15歳の少年は思春期に差し掛かるところだった。父がコロラドで新しいディーラーで車を洗っている。僕は大学へ行くのだろうか?

おじいちゃんは13歳のとき大祖父母が別れて、デイブ・マッコイを取り残さなければ、大好況の最中10代のドリフトジャンパーは森の中で暮らしただろうか。そして、3650万ドルかけて巨大なスキーリゾートを造っただろうか。

スタントンの父は撮影現場でニードルハムをがっかりさせないようにペインキラーの注射を大量にうって戦闘シーンで走る馬から転げ落ちていた。

スタントンの母は1968年の冬季オリンピックのスキーチームから脱落して敗北感を味わったのかな。17年後、低体温症に苦しみながら、鉄人レースのゴールを切る前に死ぬ覚悟でやるっきゃないってね。父の腕の中で謝りながら気を失って、体温30度で集中治療室に担ぎ込まれた。

しかし、こんな小さく物静かな子が人のニーズにこんなにも敏感なのは遺伝によるものなのだろうか?スタントンは午前3時に緻密な絵を描く。父が戦いを挑むも一度として征服することのできなかったレースカーだ。

16歳で世界ゴーカード協会の主催するレース28戦21勝をとげた。アメリカ中の社長やCEOの名前が連なる分厚い名鑑にもぐりこむことに成功したってわけだ。次のステップに進むにはパトロンが必要。いや、リッチなおじいちゃんとゴッドファーザーのポールがいるじゃないか。スタントンが崇拝する二人の偉大な男がね。でもそんなこと頼むわけに行かない。父親だってだめだ。離婚して、ディーラーシップを失って、45歳でスタントに戻って、車を回転させて、脊髄の手術をしたんだから。

SI-10.jpg 1レース5000ドル。ナスカーダッシュシリーズに参戦するのにスタントンが必要だったお金。デイトナでのシーズンの幕開けだ。見返りはレースカーに張るステッカーと賞金すべて。スタントンは勧誘の電話をかける。週に100件。セールストークを紙に書いて。女の子だと勘違いされないよう低い声を出して、この上なく礼儀ただしく。レストランのテーブル拭きや雑草取り、芝生刈りをして電話代や切手を調達。16歳の親ならみな感心するだろう。結果は、NO. NO. NO. 予算がない。酷いときは返答すらない。NO. NO. すぐに彼はターゲット企業の前に停めたレースカーを水彩で描いた3、40ページの企画書と、ポール・ニューマンの推薦書を送りはじめた。「関係者各位:この手紙はスタントン・バレットの紹介状です。彼はジェントルマンであり、また、どうしようもない荒くれものでもあります。二つの要素が混在するおもしろい男なのです」。結果はNO。後でかけなおしてください。今だ予算がありません。NO. NO. NO. そして2年後、大きな思春期の報いが訪れた。

最初のナスカー、ダッシュシリーズに出場するための4500ドルを彼は彼なりのやり方で稼いぐことができたのだ。1992年、まだ高校3年生、映画『フリージャック』で狂ったようにバギーを運転するスタントだった。彼はダッシュシリーズでシーズン後半6位に落ちるまで、ポイントで2位をキープ。ミシガン・インターナショナル・スピードウェーでの事故で空いたシートを勝ち取り、ブッシュシリーズ(現ネーションワイド)最年少19歳のドライバーとなった。 ナスカーに命を賭ける

あちこちでハンドルを握るものの、彼を全面的にバックアップする大物はでてこない。20歳までに現実の厳しさを目の当たりにして、ウェイターをしたり、Tシャツを売っても何にもなりゃしないって十分思い知った。ある時、スタントンは父がスタントするハル・ニードルハムの映画『バンディット・ゴーズ・カントリー』を手伝いにノースカロライナのモンローへ出かける。そこで、父が脊髄を痛めて、ヘルニアになってしまった。ハルの撮影リストにまた死んでもおかしくないスタントが加わった。スタントンは初めて危険な仕事をさせてくれと懇願する。やっとのことで父が折れたものの、なんてこった、55マイルより早く走っちゃいけないって条件付きだよ。

スタントンはうなずくものの、70マイルでスロープを突破、空へ飛び出し、車の鼻先で着地すると納屋に突っ込んだ(これで4500ドル、カーシート2レース分になる)。父は折れた腰を引きずるように駆けつける。「お父さん」やっとのことで声を出す。「こんなにすごい衝撃があるとおもわなかったよ」。

「お前もやっと一人前になったな」とスタン。

狂気の沙汰を正確に演じなければならない世界へようこそ!ひとつ、セットを壊したら次はない、俳優、小道具、技術を合わせると50万ドルが一気に台無しってわけだ。躊躇なく、痛みを味わなければならない人生。

「多くのスタントマンが家庭崩壊を経験しているんだ」とスタントマンのスコット・ロジャーは話す。「自分のことを粗末に扱わなければならない仕事だからね。もちろん、タイミングを計ったり、柔軟だったり、運動神経がよくなければならないけれど、精神的能力の方がより大事なんだ。パートタイムだとはいえ、スタントンは世界でもトップのスタントマンだよ」。

兄・デビッドはハリウッドのディレクターとして出世し、より高度な技術を要するスタントワークにスタントンを起用してナスカーに十分な資金を稼ぐ手助けをしている。スタントンは父のレザーブーツとこれまた父のスタントバッグで登場。デビッドの計画に耳を傾ける。もう一人の男と素手で戦いながら、65フィートの高さのホテルの窓からまっさかさま(2000ドル也:これでボルトと車軸が買える)、ヴァンで80フィート急上昇して爆発(4500ドル也:1レース分のクルーの飛行機代と宿泊代)。壊れかけた兄弟愛を炎の中に見出した。だが、デビッドはいつか弟を殺してしまうんじゃないかと、いつだって恐くてしょうがないんだ。

スタントンの担当者は話す。彼は最高の栄誉『トーラス賞』を2002年受賞した。もちろん、だれでも彼の映画を見たことがあるはず、でも気づいていないだけ。『ジュラシックパーク3』ではスピノザウルスが息を吹き上げたときのウィリアムH. メイシーだったし、檻にはいったまま海に落ちて、恐竜にはらわれてまた船の上に戻った男や、ジャングルの中を追い回されたり、腕を痛めたり、ひざの靭帯を切って間もないのに歯を食いしばってぶら下がってみたりと大活躍だ。

2000年、モトクロスのトリプルジャンプで18フィート飛び上がり、あばらを4本と、肩を壊した。ほかにも、肺や腎臓を痛めて、体内出血をおこした。10日後、テレビのシーンのため、痛み止めを6錠服用、車に撥ね飛ばされた(1100ドル也、ペイントとシャシインテリア完了)。

SI-9.jpg 「息子よ、なぜそんな無茶をするんだ?」父はたずねる。モトクロスで、ハリウッドで、なぜ、そんな小銭のために危険の中に飛び込んでいくんだ?ナスカーに参戦できるからというのかい。スタントンは答える。「父さんだって同じことしていたじゃないか」。そして今度は世界スノーモービル協会と国際ボブスレー大会に参加。優勝したわけじゃない。じゃあなぜ?「クロスレースにでれば、ナスカーのスポンサーが見つかるかもしれないかもしれないから」と彼は話す。

2001年、マンネリになっていたスノーモービルのレースで、ジャンプしてコントロールを失う。スノーモービルが左脚の上に落ちてきた。筋肉を通り越して大腿骨までやられちまった。彼は倒れ、苦しむんだ。救急隊員が叫ぶ。「動くな。動脈を切ったら一貫の終わりだ」。血が噴き出し、ショックでふらふらになりながら、30分かけて病院に到着。緊急手術で太ももと脚をつなぎ合わせた。もし脚が利かなくなったら、暗闇の中生きるってことだろう?

一ヵ月後、粉々になった脚で、火の玉をよけていた。映画『スパイダーマン』でキルスティン・ダンストを崩れ落ちるバルコニーから救出するシーンだ(1000ドル也、ステッカーキットに値する)。その2週間後、まっすぐ立っているために傘を杖代わりにして、ナスカーのレースに出場。そのまた2週間後、母とともにパラグライダーを楽しんでいた。

風が急に吹いてきた。正気の沙汰じゃない。その脚で何しようってんだ。16年前家族に起きた災害の痛手から立ち直るため母と子ががんばってるはわかるけど、普通じゃない。ペニーはスタントンとタンデム飛行しようってわけじゃない。脚が弱っているスタントンのパラグライダーを押さえているだけ。こんなんじゃ、風にさらわれてしまうかもしれない。ほら、言わんこっちゃない。風がふたりを空中に連れ去っちまった。一瞬の出来事だった。彼女は手を離して着地し、息子もしっかりとつかまえた。もう二度と手放しはしないよ。

ヒーローの挑戦は続く

スタントンは友人に借金をしてもレースをする。銀行からも借りる。要らないトランスミッションや溶接トーチを売って金を作る。さもないモーテルに泊まり、クルーたちは知名度の高いチームに引き抜かれる。スポンサーたちと密に連絡を取り、マーケティング戦略を練り、彼らを偉大な人物として扱う。そしてかき集めた金はレース場で使い果たす。トイレットペーパーすらノースカロライナの小さな修理場で使いきる。小さな冷蔵庫と電子レンジを一緒に稼動させるとショートするような、鉄骨がむき出しの場所で。ほこりにまみれ、耳鳴りがやまず、風邪や不眠、頭痛でぼんやりして、100倍の大きさで50倍のスタッフを抱える敵の要塞に乗り込んだりする。ハリウッドで一緒に働こうという兄の誘いもあっさり断った。20戦中10回のトップ10入り、突破口となる一勝まであとちょっとのところまできているのに、必ず誰かがスピンをして邪魔をしたり、お人よしのクルーのせいで13秒のピットストップのはずが28秒の悪夢に変わったりするのだ。

「彼はとても優しい心を持ってる」。ドライバーのケニー・ウォレスが話す。「いいドライバーなのに、いい車を運転する機会に恵まれない」。

4度のトップ10入りと15レースの後、スタントンの主要スポンサーが資金提供を打ち切った。トニー・スチュアートやジミー・ジョンソンのようにどこから来たのかもわからない完璧なマシーンに乗れるはずもなかった。ナスカーの大海原に放り出され、スタントンは漂流しなければならなかった。高価な技術や入念なテスト、実力には関係なくゲームは進んでいく。スポンサーは若い選手を好む。もちろん、これがアメリカさ。ケーシー・カーンズやカール・エドワーズ、カイル・ブッシュはスターになった。もはやブランドだ。運が悪いね、スタントン。君は早すぎて遅すぎた。老ライオンが仕切っていたころは若すぎたし、今では歳をとりすぎてしまった。

「1ガロンのガスが買えなくなるまでやつは続けるだろう」。祖父がため息をつく。「才能はある。だけど、プロのレベルになるとひとつのことに集中しなければ。5つのことを同時にするなんてありえないだろう」。

「失敗する前に死んでしまうよ」。父が嘆く。「でも、現実はおもしろいもので、時々、夢の花を咲かせてくれるからね」。

スタントンのガードがあまくなった。目に涙をうかべている。「兄さん、父さん、おじいちゃん、スポーツをする人はみな、僕はおかしいっていうけど、こんなんじゃ勝てないんだ。小さな道具で船を作るみたいだ。僕はみんなに心配ばかりかけて…。それにみんな、いろんなことやりすぎだ、ひとつのことに集中しろって言うんだ。でも僕は世界を征服したい。自分の持つ全ての力を出しきって生きたいんだ」。

スタントン、今度は最愛の父と新たなる挑戦をしようって言うんだ。ナスカーのレベルがどれだけ上がっているか父に見せてやろうって。そうすれば、次回25位でフィニッシュしても「ちくしょう、俺にはかなわないな」って言うに違いないからね。父はブレーキを踏んだものの、壁に激突しながらも進む。スタントンは水溜りに掴まって360度回転。父の方も水溜りにタイヤを取られた。絶好調じゃないけれど、一週ごとに10秒は差を広げていく。円形トラックだからどんなに引き離してもまた父の後を追うことになるんだ。

残念ながら父は7周走った後、ブレーキトラブルでリタイヤ。スタントンは順調にレースを続けるが、だんだん暗くなってきた。「これじゃ、どこがコーナーかわかりゃしない」、無線からスタントンの叫ぶ声がする。ようやく74周中48周目にして中断を宣言。結果、スタントン25位、スタン39位となった。

「恥ずかしかった」と父は言う。「もう邪魔はしないよ。彼がどんなことになるか考えないようにする。ただ、やつが正気なのか心配だ。私が見ているのは氷山の一角にすぎないが、タイタニックを沈めるほどの氷山かもしれないからね」。

8週間後、スタントンはある発表をした。来年、彼はチーム3Gのドライバーとしてインディカーに参戦する。インディ18レースに加え、ネーションワイドシリーズの19から20レースもエントリーする予定。インディはさらに速い。より危険度が増す。スタントン未経験の領域。1つのシーズンに2つのサーキット、そんなにも多くのレースをこなそうなんてやつはほかにいない。障害は多い。試練は続くだろう。誰にもわかりゃしない。情熱に再び炎がともったんだ。彼の人生がまたひとつ意義深いものになった。これってヒーローじゃない?